【5章】幌内炭鉱 ─ 廃墟に残る“カン…カン…”という金属音

北海道・三笠市。 かつて北海道を支えた巨大炭鉱、その名残が幌内炭鉱だ。 現在は立入禁止区域が多いが、噂は絶えない。
──夜明け前、誰もいない坑道から金属音が響く。
「カン……カン……」 まるでツルハシを振り下ろすような、一定のリズム。 だが炭鉱は数十年前に閉山し、作業員など存在しない。 それでも音は続く。 まるで誰かが“まだ仕事をしている”かのように。
● 幌内炭鉱の“死と事故の歴史”
幌内炭鉱には、大小を含め多くの事故が記録されている。 特にガス爆発、落盤事故などは数十名規模の犠牲を生んだ。 地元の記録誌には、 「坑道内で消息を絶ったまま見つからない者がいた」 と記述されている箇所もある。
坑道の一部は今も手つかずで、 内部では湿気が“呼吸”のように壁を叩く。 その湿った空気が、怪異と錯覚の境界を曖昧にしていく。
● 廃墟が恐怖の温床になる理由(心理+構造)
廃墟の恐怖は「視界の欠落」と「歴史の残滓」が生む。 幌内炭鉱の内部は暗く、 壁の剥落・無音・風の逆流が常に“不自然”を作る。
・暗闇の奥が見えない ・音が遅れて返ってくる ・風が吹いていないのに埃が舞う ・空間の匂いが急に変わる
こうした環境は人の脳に“危険信号”を出し続け、 存在しないものを“いる”と感じてしまう。 しかし、幌内炭鉱の場合はそこでは終わらない。
● 僕が聞いた「作業音の残響」
初めて幌内炭鉱の廃墟を取材したとき、 まだ午前4時、夜明け前の暗闇だった。 崩れかけた坑口の前で機材を準備していると、 内部から「カン……カン……」と音が聞こえた。
その音は妙に規則的で、 「作業のリズム」を持っていた。 風の音ではない。 落石でもない。 まるで誰かが、暗闇の中で延々と働き続けているようだった。
同行したスタッフが青ざめて言った。 「……これ、人の“腕の振り方”の音だ」
僕らがライトを向けた瞬間、音は止まった。 しかし、壁の奥から微かな“呼吸のような振動”だけが続いていた。 その空気を吸ったとき、肺が重くなり、胸が締め付けられたのを覚えている。
● 作業員の“声”を聞いた者たち
幌内炭鉱の近くに住む老人が、こんな話をしてくれた。 「夜遅くになると、坑道の方から“もう上がっていいか”って声が聞こえるべさ。」
もちろん、そこには誰もいない。 だが、閉山後もずっと続くこの“声”は、 地元ではあまりに有名だ。 「返事したら連れていかれる」と言われており、 誰も声の主に名乗り返そうとはしない。
● 近づくべきではない理由
廃墟の危険性は物理的なものだけではない。 幌内炭鉱は、 「労働者の記憶」と「未完了の意識」がまざり合った場所 といえる。
人の“強い感情”は場所に残る、と民俗学では言われる。 幌内炭鉱の怪異は、その典型だ。 過去の声が、音が、姿が、断ち切られずに残っている。
だからこそ―― ここは、本当に行ってはいけない廃墟のひとつだ。
【6章】神居古潭 ─ “境界”が揺らぐ場所

旭川市の郊外、蛇行する石狩川の深い峡谷。 古くからアイヌが“特別な地”として恐れ、尊んできた場所―― それが神居古潭(かむいこたん)だ。
アイヌ語で「カムイ(神)・コタン(集落)」 つまり、“神々が棲む場所”を意味する。 しかし同時に、 そこは神と人の境界が曖昧になる場所とも言い伝えられてきた。
● 伝承が残す“見てはいけないもの”
アイヌの古い伝承には、神居古潭の川辺で 「人と似た形をした何か」が歩いていたという記録がある。 それは人ではなく、カムイでもない。 ただ、こちらを見ていた――とだけ書かれている。
この曖昧さが、神居古潭に宿る“境界性”そのものだ。
● 婚礼列車転覆事故の残響
1914年、この地を走っていた列車が脱線・転覆し、 多数の死者を出した。 “婚礼列車”と呼ばれ、新婚夫婦の家族が多く乗っていたという。
事故後、乗客の遺品は川沿いに並べて弔われた。 そのときの 「夜になると泣き声が谷に響いた」 という証言が、今も郷土資料に残っている。
現地の住民は、あの日から神居古潭が “悲しみを抱えたままの土地”に変わったと語る。
● 僕が見た「揺れる橋の影」
神居古潭には、いまは使われていない古い吊り橋がある。 僕が訪れたのは風のない夕暮れだった。 だが、橋だけがわずかに揺れていた。
よく見ると、橋の中央に人影のような“濃い部分”があった。 輪郭が曖昧な影が、 こちらに背を向けて川を覗き込んでいた。
声をかけようとした瞬間、 その影は煙のように細くなり、 欄干の向こうへ消えた。
スタッフは震えて言った。 「……いま、橋の板が一枚だけ沈んでましたよ」
確かに、誰かが立ったときのような沈み方だった。 だが人間が乗るには、重さが軽すぎた。
● 神居古潭の“音”は生きている
神居古潭は、音が異常に反響する。 川の流れ、風の摩擦、木々のざわめき―― これらが複雑に混ざり、時折“人の声”のように聞こえる。
地元の人は、こう言う。 「あれは声じゃない、“呼び寄せる音”だ。」
実際、僕が録音機で採った音には、 風の中に紛れて小さな「……ねぇ……」が入っていた。 ノイズと言われればそれまでだが、 あれは“意図を持った音”だった。
● “境界の土地”に足を踏み入れるということ
神居古潭は、他の心霊スポットとは質が違う。 事故、伝承、地形が重なり合い、 “ここでは境界が開きやすい”という 民俗学上の特徴を備えているからだ。
神居古潭で迷ったという証言が多いのも、 心理ではなく地形ではなく、 “意識の境界”が揺らぐためと解釈されている。
僕自身、ここだけは―― 「誰かに見られている」ではなく、 “誰かの世界に足を踏み入れてしまった” そんな感覚を覚えた。
● 立ち去るときに“振り向いてはいけない”理由
神居古潭には昔から、 「帰り道で振り向くな」 という言い伝えがある。
振り向くと、 背後の闇に“何かの気配”が追いすがるのだという。
僕はこの言い伝えを、根拠の薄い迷信だと思っていた。 だが、帰ろうと橋を渡ったとき、 背中に冷たい視線が刺さるように感じた。
もしあのとき振り返っていたら―― いま、この文章を書けていなかったかもしれない。
【7章】野付半島トドワラ ─ 消えゆく大地で“足音だけ”が残る

キーワード:北海道 心霊スポット 湖畔 足音 / 野付半島 トドワラ
野付半島――日本最大級の砂嘴が細長く伸び、 「この世ではないどこかへ続く道」 と形容されてきた場所だ。
その先端にあるトドワラは、 海水の浸食により立ち枯れたトドマツが点在する、 “死んだ森”のような風景をしている。
地元では、こう呼ばれることがある。
──「消えていく大地」。
そんな場所だからこそなのか、 夜になると“人影が歩くのに足跡だけが消える”という奇妙な噂が絶えない。
● 大地そのものが消えていく異様
トドワラは年々形を失っている。 かつて森だった場所は海に沈み、 今は枯れ木だけが墓標のように立っている。
この“喪失の地形”は、人間の心理に強い影響を与える。 ・視界の情報が少なくなる ・距離感が狂う ・足音が吸音される ・風の流れが不規則になる
その結果、「何かが自分の後ろを歩いている錯覚」が起きやすい。 しかし、トドワラの場合は錯覚では片づけられない現象がある。
● 僕が聞いた“二人分の足音”
野付半島を取材した時、 夕暮れの遊歩道を歩いていた。 湿った砂の音が足元で吸い込まれていくような静かな道だ。
だが、途中から足音が“二つ”になった。 僕の後ろにもうひとつ、 明らかに別のテンポで、 「ザッ……ザッ……」と足を引きずるような音。
同行していたスタッフは、遠くにいるはずだった。 振り返ると、誰もいない。 だが足跡だけが、途中まで続いていた。 途中で、砂に吸い込まれるように消えていた。
その瞬間、耳元で微かな声がした。 聞き取れなかったが、 人の吐息のように感じた。
● 野付半島に多い“影の目撃情報”
観光客の間で最も多い証言がある。 「遠くに人が立っていると思ったら、樹の影だった。」
しかし、僕の取材では逆の証言も聞いた。 「樹の枯れ影だと思ったら、人がこっちを向いていた。」
影と人の境界が曖昧な場所。 消えゆく土地は、 “存在の輪郭”まで崩してしまう。
● 霧が出たとき、歩いてはいけない理由
野付半島は霧が濃く、 ときに数メートル先も見えなくなる。 そんな時に最も危険なのが、 「どこからか聞こえる足音」だ。
地元の漁師は言う。 「霧の日は、海に落ちた人の歩く音が聞こえることがある」
それが人間の記憶なのか、 消えた樹々の残響なのか、 あるいはこの場所に刻まれた“何かの呼吸”なのか―― 誰にも分からない。
● トドワラは“消える人影”を見る場所
トドワラの怪異は、派手ではない。 だが、不気味なほど静かで、深い。
影が立つ。 近づくと、いない。 足跡だけが残る。 その足跡も、途中で消える。
それはまるで、 「ここで消えた者たちが、まだ歩いている」 そう言っているかのようだった。
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【警告と注意】
本記事は“歴史と怪異の関係”を考察し、 北海道という土地の深い背景を伝えるためのものです。
立入禁止区域や危険地帯への侵入を絶対に推奨しません。
怪異は、噂よりも“場所そのものの空気”が作るものです。 どうか無理をせず、 “あなたの直感が嫌がる場所”には決して入らないでください。
そして最後に―― 北海道の闇は、美しく深い。 しかしその深さゆえに、 時として人を飲み込む。
この記事が、あなたと闇の境界を守る助けになりますように。




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