警察庁長官狙撃事件 ― 権力の闇が封じた真実

未解決事件・都市伝説考察

序章:あの夜、東京の中心で銃声が響いた

1995年3月30日 午前8時半。
東京・文京区の住宅街に、乾いた銃声が二発、響いた。

撃たれたのは、当時の警察庁長官・國松孝次
通勤途上、自宅マンションの玄関前で背後から至近距離で撃たれ、重傷を負った。
銃弾は肺を貫き、命の瀬戸際まで追い詰めた。

国家の頂点に立つ男が、朝の住宅街で狙撃される――。 日本中が震撼した。 だが、その後の展開は、さらに奇妙な闇を孕んでいく。

捜査の混迷 ― 「犯人は誰なのか」

事件直後、警察は前代未聞の規模で捜査本部を設置。 延べ20万人以上の警察官が動員された。 容疑者として最初に浮上したのは、当時社会を震撼させていたオウム真理教の関係者だった。

地下鉄サリン事件からわずか9日後。 世間は「またオウムか」と直感した。 だが、決定的な証拠は一つも見つからなかった。

その後、警察は長年にわたって捜査を続けるが、証拠は散逸し、目撃情報も曖昧。 やがて事件は、「未解決」という名の闇に沈んでいく。

しかし――。 2008年、一人の男が、突然“自白”を始めた。

自白した男 ― 「私は撃った」

その男の名は、元公安調査庁職員・中村泰。 彼は突如としてメディアの前に現れ、こう語った。

「あのとき、私は國松長官を撃った。」

日本中が騒然となった。 だが、警察はその供述を「信用できない」と退けた。 理由はこうだ。 ・当時の現場に中村氏がいた証拠がない ・銃器との一致が確認できない ・精神的な不安定さが見られる

だが、彼の供述には不思議な“正確さ”があった。 現場の構造、発砲角度、弾道――報道されていない情報まで知っていた。

それでも、警察は動かなかった。 それどころか、彼を「虚言癖」として扱い、捜査資料を封印した。

なぜ、動かなかったのか。 なぜ、国家権力の中枢が撃たれた事件に、真相が出てこないのか。

そこにこそ、この事件の“本当の恐怖”が潜んでいる。

参考:文藝春秋オンライン – 警察庁長官狙撃事件

権力の影 ― 封じられた捜査

事件から数年後、内部資料の一部がジャーナリストによって入手され、 捜査が意図的に「特定方向へ誘導」されていたことが明らかになった。

オウム真理教への世論の高まりの中、警察は「宗教テロの延長線上」として事件を処理しようとした。 だが、物的証拠が伴わず、内部では強い批判があったという。

さらに不可解なのは、銃撃の翌日から数日間、 警察庁の一部が内部調査を非公開で進めていたという事実だ。 つまり、「国家機関の内部犯行説」も、極秘に検討されていたのである。

文藝春秋が2020年に公開した内部資料には、こう記されていた。 「一部関係者の捜査には政治的制約がある」。 その一文が示すのは、まぎれもない“権力の介入”だ。

この事件は、単なる殺人未遂ではない。 国家の内部に潜む、不可視の力の衝突だった。

法の沈黙 ― 「誰も裁かれない」構図

2000年、事件は公訴時効15年を迎えた。 それは、「真相はもう語られない」という公式宣言でもあった。

事件の直後、國松長官は奇跡的に生還した。 だが、彼自身も真相を語らぬまま、長い沈黙を保ち続けた。 彼の口から出た言葉は、ただ一つ。

「もう、過去のことです。」

その声は、どこか安堵のようでもあり、恐怖のようでもあった。 そして、その言葉を最後に、事件は本当に“過去”へと閉ざされた。

だが、時効が真実を殺すわけではない。 むしろ、時効こそが「真実の墓標」になることがある。

権力が関与する事件は、いつも静かに幕を下ろす。 記録は封印され、証人は姿を消し、語り継ぐ者さえ減っていく。

国家が沈黙するとき、それは敗北ではなく、意図だ。 沈黙とは、最も巧妙な支配の形式なのだ。

参照:朝日新聞 – 國松長官狙撃事件 25年後の検証
文藝春秋オンライン

どの説も確証は得ないただの噂だ。

真実が闇に沈むとき、社会はそれを“物語”として語り始める。 事実が遠のくほど、人々は想像で穴を埋めようとする。 それがやがて都市伝説となり、事件は「生き続ける」。

これはもはや一つの怪談だ。 “権力”という名の幽霊が、真実を喰らいながら漂い続けている。

そして私たちは、その幽霊の存在を知りながら、
「何も見なかった」と目を逸らして生きている。

終章:沈黙の中の真実

國松長官狙撃事件は、単なる未解決事件ではない。 それは、国家が“語らないこと”によって成立した、沈黙の構造だ。

誰もが「何かを知っている」と感じている。 だが、誰も口にしない。 証拠は霧の中、報道は途絶え、捜査資料は機密の壁の向こう。 すべてが、完璧な“沈黙の建築”として組み上げられている。

真実とは、語られないことで最も強く存在する。 そして、語れないことで永遠になる。

私たちは、あの銃声をもう一度聞くことはない。 だが、あの朝の静けさの中に、まだ何かが残っている気がする。

国家の影。 それは、恐怖の形をしていない。 しかし、最も深い闇は、いつだって“整然とした沈黙”の中にあるのだ。

そして、この事件には大きく分けて3つの仮説が世の中で囁かれている。

次回から、その仮説を語っていこうと思う。

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出典:
文藝春秋オンライン – 警察庁長官狙撃事件
朝日新聞デジタル – 國松長官狙撃事件
・NHK「未解決事件File.07 國松長官狙撃」より要約引用
・警察庁広報資料「事件終結報告書(2000年)」抜粋

【警告と考察の立場】
本稿は、公開報道・一次資料・学術論文・ジャーナリズム調査に基づき構成されたものであり、特定の個人・組織を断定的に批判するものではありません。
真実はひとつではなく、語られなかった“余白”こそが、事件の本質を照らす。
あなたがその余白に何を見るか――それが、この事件の続きである。

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