《釜石の“線路の下”》──終電のあと、足音だけが帰ってくる。


序章:波と鉄の町に響く音

釜石市。
鉄と海の町として知られ、製鉄所の煙突がいまも港の夜景を照らしている。
しかし、夜中になるとこの街には、別の“鉄の音”が響く。

「カン……カン……」

線路の下から、一定のリズムで鳴る金属音。
誰もいないはずの時間、終電が通り過ぎたあと、
駅員たちはその音を“帰ってくる足音”と呼ぶ。


第一章:釜石線と“消えた列車”の噂

1.1 釜石線の歴史

釜石線は、花巻と釜石を結ぶJRの路線である。
全長90km以上、トンネルと橋梁を繰り返しながら、
深い山々と海沿いを抜けて走る。

昭和初期に開通し、戦中・戦後を通じて物資輸送の要として機能した。
だが、沿線には“開かずのトンネル”や“封鎖された側道”が存在する。
その一つが――第十七トンネル


1.2 封鎖されたトンネル

第十七トンネルは、現在の新釜石駅から南西1.2km地点にある廃区間。
工事途中で落盤が発生し、十数名が生き埋めになったとされる。
以後、坑口は封鎖されたが、夜になるとトンネル内部からレールを叩く音が響くという。

ある地元作業員の証言。

「最初は水音かと思った。
でも、リズムが人の足音なんだ。
……線路の下を歩いてるような。」


第二章:夜勤駅員の記録

2.1 “戻ってくる列車”

2013年、釜石駅の深夜警備員が提出した報告書に、こう記されている。

「終電通過後、下り線の信号が一瞬青に変わる。
駅構内に列車進入音、だが姿はなし。」

監視カメラには、光の筋だけが映っていた。
列車の残光のように見えるが、
映像をコマ送りにすると、そこに人影がいくつも重なっている。

「線路の下を歩くような高さで、
光の中に並んでいる。」


2.2 失踪した整備士

2016年、トンネル補修を担当していた整備士が行方不明になった。
最後の通信は無線記録に残っている。

『線路の下に空間がある……人の声がする……』
ノイズ。
『下から……叩いてる……』

通信はそのまま途絶えた。
翌日、工具箱だけが線路の下から見つかった。
中には、錆びたスパナと、
濡れたノートの切れ端。

「また、帰れない。」


第三章:体験記 ――僕が聞いた“カン、カン”

僕が釜石線を訪れたのは秋の終わりだった。
夜の海風が強く、空は曇っていた。
釜石駅から徒歩で線路沿いを歩くと、
やがてフェンス越しにトンネルの影が見えた。

中は真っ暗。
ただ、耳を澄ますと――
遠くから微かな金属音がした。

カン……カン……カン……

規則的な、踏切の音とは違う。
足で鉄を叩くような、生のリズム。

僕はスマートフォンで録音を開始した。
音は近づいてきた。
そして足元、線路の下から聞こえた。

カン……カン……カン……

次の瞬間、
地下から“息”が漏れる音がした。

「ついた……」

風が止み、音がやんだ。
スマホの画面を見ると、録音時間は22:22で止まっていた。
保存された音声を再生すると、
ラスト1秒に“走る音”と“叫び”が混じっていた。

「帰れない……!」


第四章:線路下の構造

4.1 地下にある“第二の道”

地元の工事記録によれば、釜石線の一部区間には、
整備用の“副坑道”が並走している。
落盤時の避難経路として掘られたが、現在は封鎖。

しかし、鉄道マニアの一部は
「副坑道が線路下でトンネルと繋がっている」と証言している。

つまり、線路の“下”にはもう一つの通路があり、
そこを“誰か”が歩いている。


4.2 地下音の記録

東北大学音響研究所の調査では、
封鎖区間の地中から周期的な金属反響音が確認された。
音の周期は0.83秒間隔――平均的な人の歩行リズムと一致する。

調査報告書にはこうある。

「地中下約2.5m地点に、空洞または水路状構造。
音の発生源は人為的可能性あり。」

しかし、調査チームの一人が言った。

「あの音、どこかで聞いたことがある。
……通勤の足音にそっくりだった。」


第五章:震災と“帰れなかった足跡”

2011年の東日本大震災。
津波は釜石線の一部区間を呑み込み、
多くの列車と乗客が行方不明になった。

復旧工事の際、作業員が線路下から発見したものがある。
それは、人の足跡が刻まれたセメント片だった。
だが、その足跡は下向きについていた。
まるで、地面の裏側を歩いたように。

その現場で働いていた男性は後にこう証言している。

「あの夜から、足音が下から聞こえるようになった。
たぶん、まだ帰ってきてるんだと思う。」


第六章:考察 ――“帰路”としての線路

線路は、行きと帰りを結ぶ象徴である。
だが、途中で途絶えた者にとって、
“帰る道”はこの世にはない。

そのため、彼らは線路の下を歩く。
音だけを残し、誰にも見られずに、
“帰る”という行為を繰り返す。

心理学的には、これを“回帰願望の残響”と呼ぶ。
死者の意識が“帰る動作”を繰り返し、
環境音に干渉する現象だ。

しかし、地元ではそれをもっと単純に言う。

「あの音は、家へ帰ろうとしてる足音なんだよ。」


第七章:終電のあと

釜石駅の終電が出て30分後、
ホームの照明が自動的に落ちる。
その瞬間、線路がわずかに震えるという。

線路に耳を当てると、
“カン……カン……”という足音。
それがゆっくりと駅に近づき、
ホームの下で止まる。

そして、微かな声が響く。

「次は……帰り道。」

それはアナウンスのようで、祈りのようでもあった。


終章:もし、釜石線を旅するなら

夜、終電のあとに線路沿いを歩いてはいけない。
地面の下から響く音に気づいたら、立ち止まらないこと。
もし、あなたの足音と“もう一つの音”が重なったら――
その瞬間、あなたの影が遅れて歩き出す。

それが、
“線路の下”へ招かれた合図だから。


情報ソース・参考文献

  • JR東日本釜石線資料『旧第十七トンネル工事記録』(1936)
  • 岩手日報「釜石駅終電後の謎の信号変化」(2013)
  • 東北大学音響研究所『地中残響現象の観測報告』(2016)
  • 釜石地方史研究会『鉄路と記憶の伝承』(2020)
  • NHK特集「線路の記憶—釜石線・津波後の証言」(2018)

注意と立場

本記事は、現地伝承・報告資料・心理学的分析を基に構成された創作的考察作品です。
特定の場所・人物・団体とは無関係であり、
線路やトンネル周辺への立入・探索行為は法的にも危険を伴うため厳禁とします。


🕯
夜の釜石で、
“カン……カン……”という音を聞いたら――
それは、帰れなかった誰かが、
まだ帰ってきている証拠です。

どうか、その音に合わせて歩かないでください。

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